所蔵品
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広島生変図
広島の街を焼き尽くす炎。画面下方には罹災した街の様子が表されています。被爆の惨状を体験した画家の心の中で、その情景が一つの幻想的場面に昇華されました。燃え上がる炎のなかに配された忿怒形の不動明王は、人々の営為を見守る聖なる存在であるとともに、悲劇を乗り越えて再生する不屈の生命力の象徴なのです。
現在の広島県尾道市瀬戸田町に生まれた平山郁夫は、学徒勤労動員の作業中に広島陸軍兵器支廠で被爆しました。原爆の後遺症に苦しみ、救いを求める気持ちから仏教を題材とした作品を発表、高い評価を得ます。しかし画家は、原爆の絵をなかなか描くことができませんでした。被爆後34年を経た昭和54(1979)年の夏、平和記念公園を訪れてようやく心の整理がつき、深い鎮魂の思いと生命への讃歌を画面に込めて、本作品は制作されたのです。
【作家略歴】
1930(昭和5) 広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)に生まれる
1945(昭和20) 学徒勤労動員中の広島陸軍兵器支廠で被爆
1947(昭和22) 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学
1952(昭和27) 同校を卒業後、新制となった東京芸術大学副手に就任。前田青邨に師事
1953(昭和28) 第38回院展《家路》ではじめて入選
1959(昭和34) 被爆の後遺症に悩まされる中、第44回院展《仏教伝来》で入選
1962(昭和37) 第47回院展《受胎霊夢》《出現》で受賞。東西宗教美術の比較のために渡欧
1966(昭和41) 東京芸術大学第1次オリエント調査団に参加
1968(昭和43) はじめてアフガニスタンから中央アジアに至るシルクロードを取材
1973(昭和48) 東京芸術大学教授に就任
1989(平成元) 同大学長に就任
1998(平成10) 画業50年展を開催。文化勲章を受章
2000(平成12) 奈良、薬師寺玄奘三蔵院伽藍「大唐西域壁画」を完成
2001(平成13) アフガニスタン、バーミアン大仏の破壊について抗議声明を発表
2009(平成21) 東京都中央区の病院にて没
現在の広島県尾道市瀬戸田町に生まれた平山郁夫は、学徒勤労動員の作業中に広島陸軍兵器支廠で被爆しました。原爆の後遺症に苦しみ、救いを求める気持ちから仏教を題材とした作品を発表、高い評価を得ます。しかし画家は、原爆の絵をなかなか描くことができませんでした。被爆後34年を経た昭和54(1979)年の夏、平和記念公園を訪れてようやく心の整理がつき、深い鎮魂の思いと生命への讃歌を画面に込めて、本作品は制作されたのです。
【作家略歴】
1930(昭和5) 広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)に生まれる
1945(昭和20) 学徒勤労動員中の広島陸軍兵器支廠で被爆
1947(昭和22) 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学
1952(昭和27) 同校を卒業後、新制となった東京芸術大学副手に就任。前田青邨に師事
1953(昭和28) 第38回院展《家路》ではじめて入選
1959(昭和34) 被爆の後遺症に悩まされる中、第44回院展《仏教伝来》で入選
1962(昭和37) 第47回院展《受胎霊夢》《出現》で受賞。東西宗教美術の比較のために渡欧
1966(昭和41) 東京芸術大学第1次オリエント調査団に参加
1968(昭和43) はじめてアフガニスタンから中央アジアに至るシルクロードを取材
1973(昭和48) 東京芸術大学教授に就任
1989(平成元) 同大学長に就任
1998(平成10) 画業50年展を開催。文化勲章を受章
2000(平成12) 奈良、薬師寺玄奘三蔵院伽藍「大唐西域壁画」を完成
2001(平成13) アフガニスタン、バーミアン大仏の破壊について抗議声明を発表
2009(平成21) 東京都中央区の病院にて没
名称 | 広島生変図 ひろしましょうへんず |
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作者名 | 平山郁夫 ヒラヤマ・イクオ |
時代 | 昭和54年 |
材質 | 紙本彩色 |
サイズ | 171.0×364.0 |
員数 | 1面 |
その他の情報 | |
指定区分 | |
分野 |