所蔵品
所蔵品
帽子をかむる自画像
靉光《帽子をかむる自画像》
「自画像の画家」と称される靉光は、最晩年に3点の油彩の自画像を残した。最初の作と考えられる本作は、いわば自画像の画家の出発点。画面を覆うような力強い肩に太い首。細長い頭部は、体に似合わず小さく不釣合いに感じられる。画家の視線は遠くを見つめ、心はここではないどこかを彷徨う。暗い背景から浮かび上がる体は、その逞しさが強調される一方、見慣れない特異な身体描写と内面を推し量りがたい複雑な表情が、自画像を孤高の存在へと高めるようである。
自画像連作に先立つ時代、ときに生死や実在も曖昧な動植物を緻密に表現した非現実的ともいえる世界を描いていた靉光は、最晩年に作風を一変、対象の本質に迫る独自の写実表現にたどり着いた。やや荒削りともいえる衒いのない描写により、自己という現実の存在を力強く描き出した本作は、「生きていく」ことの意味と、「生きている」存在の尊さを改めて見つめ直す心境に画家が達したことを物語るものかもしれない。
【作家略歴】
1907(明治40)
広島県山県郡壬生町(現山県郡北広島町)に生まれる。本名、石村日郎
1914(大正3)
父の弟夫婦の養子となるため、広島市内に移る
1922(大正11)
広島市の谷口印刷所勤務を経て、大阪の伊吹デザイン社に移る(翌年退社)
1923(大正12)
天彩画塾に通う。この頃から、靉川光郎の名前を使い始める
1924(大正13)
上京し、太平洋画会研究所に通い始める
1926(大正15)
第13回二科展に出品
1927(昭和2)
第2回1930年協会展で、1930年協会奨励賞を受賞
1933(昭和8)
第3回独立展に出品。上海に旅行
1935(昭和10)
中国東北部や朝鮮半島を旅行
1936(昭和11)
中央美術展で、中央美術準賞を受賞。第1回藝州美術協会展を開催、出品
1938(昭和13)
第8回独立展で、独立美術協会賞を受賞。広島市内で個展を開催
1939(昭和14)
美術文化協会の結成に参加
1943(昭和18)
新人画会を結成。中国東北部に旅行
1944(昭和19)
応召
1946(昭和21)
上海で没
「自画像の画家」と称される靉光は、最晩年に3点の油彩の自画像を残した。最初の作と考えられる本作は、いわば自画像の画家の出発点。画面を覆うような力強い肩に太い首。細長い頭部は、体に似合わず小さく不釣合いに感じられる。画家の視線は遠くを見つめ、心はここではないどこかを彷徨う。暗い背景から浮かび上がる体は、その逞しさが強調される一方、見慣れない特異な身体描写と内面を推し量りがたい複雑な表情が、自画像を孤高の存在へと高めるようである。
自画像連作に先立つ時代、ときに生死や実在も曖昧な動植物を緻密に表現した非現実的ともいえる世界を描いていた靉光は、最晩年に作風を一変、対象の本質に迫る独自の写実表現にたどり着いた。やや荒削りともいえる衒いのない描写により、自己という現実の存在を力強く描き出した本作は、「生きていく」ことの意味と、「生きている」存在の尊さを改めて見つめ直す心境に画家が達したことを物語るものかもしれない。
【作家略歴】
1907(明治40)
広島県山県郡壬生町(現山県郡北広島町)に生まれる。本名、石村日郎
1914(大正3)
父の弟夫婦の養子となるため、広島市内に移る
1922(大正11)
広島市の谷口印刷所勤務を経て、大阪の伊吹デザイン社に移る(翌年退社)
1923(大正12)
天彩画塾に通う。この頃から、靉川光郎の名前を使い始める
1924(大正13)
上京し、太平洋画会研究所に通い始める
1926(大正15)
第13回二科展に出品
1927(昭和2)
第2回1930年協会展で、1930年協会奨励賞を受賞
1933(昭和8)
第3回独立展に出品。上海に旅行
1935(昭和10)
中国東北部や朝鮮半島を旅行
1936(昭和11)
中央美術展で、中央美術準賞を受賞。第1回藝州美術協会展を開催、出品
1938(昭和13)
第8回独立展で、独立美術協会賞を受賞。広島市内で個展を開催
1939(昭和14)
美術文化協会の結成に参加
1943(昭和18)
新人画会を結成。中国東北部に旅行
1944(昭和19)
応召
1946(昭和21)
上海で没
名称 | 帽子をかむる自画像 ぼうしをかむるじがぞう |
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作者名 | 靉光 アイ・ミツ |
時代 | 昭和18年 |
材質 | 油彩・画布 |
サイズ | 60.0×50.0 |
員数 | 1面 |
その他の情報 | |
指定区分 | |
分野 |